今年は自分たちと自分たちの周囲で、いろいろな新しいスタートがあり、皆様にとてもおせわになったとおもいます。今年まいた種が芽を出していくのが、たのしみです。
学校の仕事は今日で終わり。
皆最後に新しい芽がではじめ、よい仕事の納まりになった。
外に出ると、独特の静かな空気は、学生がではらった、年末の昼さがりにしかない。
弱く白っぽい光、宿舎に残るであろう学生が自転車をとめて日だまりの猫をみている。
夜は今年最後のいけばなの稽古、御正月の立花の勉強。
茂原の美術館"as it is"の今年最終日にはるばる。今回は、リアカーが真ん中にドーンと置かれて、楽しい。坂田さんの展示は、価値観がはっきり、独自にあるから、みていて心が安らぐ、すごいことだと思う。
ベランダを見ると例の伊勢撫子は次々と勝手に咲き続けている。この寒いのに。やっぱりこの花はおもしろい。
せっせと書いていた年賀状、ほとんど終わりました。昨年は31日まで書いていたっけ・・・。
今年こんなに早く出来たということは、ある意味奇跡です!
子どもの頃は当たり前だった"年始につくようにとしたためるゆとり"を忘れかけていた気がするけれど、
それって大切なことだよなと最近改めて思います。(まだ終わっていないんですけど!)
今年出会った人に初めて送るというのも、いいものです。
南宇都宮 悠日さんの「アートマーケット」にatelier365°が出るということで、須知さんの花器に花を少しそえさせていただきました。 会場となった悠日さんの石蔵は、天井が高く、落ち着いていて、人が大勢いても心静まるような場所。石蔵は大谷石という、 宇都宮で採取される石でできていて、この土地で昔々から使われているのだとか。もし、こんなすてきな場所を自由に使っていいと言われら、 どんな花をいけるかなぁと妄想するだけで楽しいなあ!
人(自分)の思い込みというのは恐ろしいものです。
先日、読んでいた本が想像と全く違っていてビックリしました。
それは、誰もが知ってる夏目漱石『坊ちゃん』。何度も読み返しているとまではいかなくても、まあ一度なら読んだことはあるだろうこの話。
恥ずかしいことに、実は私は読んだことがなかったのです。私の知っている「坊ちゃん」は、カボチャか、電車か。
話は東京から松山に赴任した若い数学教師ということだけ。それで、今さらだけど、読んでみたのです。
そしたらビックリ。「坊ちゃん」は超爽やかな好青年教師なんだと思い込んでいたら、直情径行・無鉄砲・喧嘩早い人だったのです!
ガーン・・・。日本人として恥ずかしい・・・。
小学生の頃、『走れメロス』は犬の話なんだろうと思い込んでいたのと同じレベルでショック。
イメージや思い込みにとらわれず、自分でちゃんと読んだり、見たりしないといけないなぁと改めて思った今日このごろです。
しかし、なんでこんな思い込みをしているか考えてみた。メロスについては、人間に興味のほとんどなかった小学生当時『マリリンに逢いたい』という犬の映画と
メロスを重ねてしまったのかもしれない。『坊ちゃん』にいたっては表紙に使われているわたせせいぞうさんのイラストが
爽やかすぎるからだろう。カバーをはずして読んでいたので気づかなかったけれど、ふと思い出してカバーを探してみたら、これですよ。
この人は、どう見ても無鉄砲じゃない。↓
祝事にケーキは必須。数年前、誕生日にケーキでなく焼き芋を買ってきてくれたという笑える思い出もあるけれど、 やっぱり祝事にはケーキがいいよと、夕方買いに行こうと思っていたら。突然、義母から「ケーキを持っていくわ」と電話。 夜、箱を開けてみたら、こんな文字が。これって義母さんの文字だよねと話しながら、甘ぁ〜いケーキをパクパク。
夕暮れ時の北条で、珈琲タイム。 昔、郵便局だった建物を改装したというカフェ ポステンには、懐かしい匂いと新しい風が混ざり合って、 あたたかい空気に満ちていました。郵便局というたくさんの人の想いを送り届けていた場所に、今度はオーナーさんの想いを受け取りにいく なんて、素敵だわ。
佐渡の実家からおくられてきたりんごをくばってあるこうと思い立ち、手提げにりんごをいれて出発、二つは、あおものプロジェクトやら共同研究やら農作業やらで御世話になっているきりさん宅のドアにぶらさげて、次の二つはすてきな器処千想さんに。千想さんではお茶道具の陶芸作家さんがきていて、初対面なんだけど、いろいろ話がはずんで、最終的には、どうしたことか、納品にきていた壷をくれた!ということでりんごをもっていって壷を持って帰ってきた日曜日。
備前の、池の底の土に鳩羽土(はとばつち)という種類があるのだそうで、善行の報いでその土を手に入れて作品を焼いている作家さんの話を偶然聞いて、 又突然電話でその方とお話しさせてもらった。あれよあれよというまのできごと。 鳩羽土、なぜか魅力的な響き。来年の出会いをたのしみにしよう。
古い益子の花瓶にいけてあったアマリリスの花弁から、 血のような赤い液体が、ぽたりぽたりと、おちていて、中川幸夫だ、と2人で興奮。
日本晴れの東京で富士山を望みながら15年来の女友達の結婚式。
人生初の余興を友人2人で依頼され。私たち2人にスピーチはないよなあ、しかもキャラ的に歌も踊りもないし。と困り果て、ここ
10年の間にやりとりしたバースデーカードを披露することにした。そのためこの数日寝る間も惜しんで作業を続けた。
その甲斐あって、自分の式じゃないのに、心に深く残るものなりました。健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しきときも、
愛し合い、喜びを分かち合うのはダンナサマだろうけれど、やっぱり女の友情は篤いな。
分校での打ち上げ会の、みんなの手元にさりげなく置かれていた箸置きは、須知さんの新作。鉄の箸置きは、新鮮というだけでなくて、置き、に徹しているこの凝縮された物質感、木や陶にはない感じが、すごくきにいっています。
ベランダには伊勢撫子というえらいナデシコがいる。この野郎はどこからみても、花も葉っぱも、狙っているかのごとくにおどろおどろしている。だれがこんなの買うんだろうといいながら購入したのが、いつみてもおもしろい。だいたいなにもせわしなくてもやたらと花が咲く。そして、聞くところによると、やたらとふえるらしい。 ベランダは凄まじいことになりそうだ。かなりお気に入りの花です。
今仕事はたぶん今迄で一番のボリュウムであって、しかし自分の研究の進捗はまるで遅遅としていて、 おそらくこれがフラストレイション、焦ったりすると気分は落ちまくるだけでろくな生産性はない。 しかし、そもそも自分の研究だ成果だなんてのが実に高飛車な言い方で、ゲンダイのセンタンの仕事は ボーダイなチクセキの上にナリタッていて、そこで自分がなにかしたと勘違いしてもせいぜい山の上に 小石を積んだ位のこと、別になにも偉いわけじゃない。それをどうこう考えて、山にならんといっても、 これはもう、本質的にどうしようもないのであり、やっぱり自分の出来るチリでもつんでくのが自分の できることのすべて、と、しごく当然のことを再度確認した次第。黙って一人、か、みんなで、草をかろう。
夜空には三日月と明るい惑星がニッコリ笑った顔になって、 岩間の分校では先月のイベントの打ち上げでした。薪のストーブできれいな牛肉がならんで、 ほたてが開き、黒猫ジジがテーブルの箸おきをおとして、妙なカメラ講座に大笑いして、そのうちコタツからも、 布団からも、思い思いの場所からぐうぐうぐう。こんなに自由に、志高くいられる居所って貴重です。