2009年6月28日(日)

週末ボーっとしたことについて。

土曜日はアトリエぽれぽれさん主催の「光の体験教室」というこどもの美術教室イベントをみにいった。ひさしぶりにオフの超真夏日なので、鉄をたたいてフライパンやはしおきを作るこどもたち、おとなたちをみながら、自分はぼけっと一日中太陽にあたっておりました。この暑いのに地獄のような焚き火をしたほかは何にもせんかったわまじで。

夜に子供たちが蛍をみに行っている間に(ステキな教室!)、すちさんと個展の話し合いをしていると、「"墓標"って好きなんだよね」、と、すこし深いところをきいた。これでトボの友達で熱心な墓好きが二人目!それはいいとして、墓は、すごく個人的な祈りのモチーフだから、いい、と。トボも、花は、第一に、超個人的なお祈りの儀式であることと、思っていた。焚き火で頭が酸欠気味の熱帯夜な電球の下で、すこしテンションをあげる。

でもトボとしては、最近特に、余りに個人的であることはどうなんだろう、自分なんてたいしたことないし、と思っていて、むしろ場や縁ということ興味がいっている。特に花はどうしたって、切っていけるんだから、よくもわるくも、「私」の想いがべたーっと入って、その想いがしょうもないならば、花もナイーヴです。そうなると、花からワタシを抜く、という川瀬敏郎さん的な方向が自然と魅力を持ってくる。

それが今宵電球の下で気がついたのは、トボがにがてな近代的現代的「わたしわたし」的なモノってのは、縁や場を無視して、ワタシとか、かってな理論だけが主張される事態なわけだと。そーゆーことを避ければ、わざわざ花からむりして私を抜く必要もないのかもしれませんわ。謙虚で言葉少ないすちさんのひとことに、新しいイメージをもらって、用水路にふわふわ飛んでる蛍を指にとまらしたりして、帰ったのです。と、なかなかいい夜だった。

次の日はいけばなの講習会であって、これは全く技術的なものなのであった。使っている花材(花材って、なんか材料みたいでアレですね)が黒板に書き出されるも、それらのほとんどがカタカナの複雑怪奇なフラワアで、そこでは"花材"はもっぱら面とか線とか、そういうデザインのための、やっぱり材料でしかなくって、なんだかそのへんはオブジェとかいってた戦後の草月からちっともかわってねえじゃねえか、と、おもわれるのでした。

もちろん技術は大事なことですから、この講習会にはちっともモンクはないのだけれど、やっぱり縁から切り離されたモノ(一応花だけどさ)ってのは、みててもどうしようもねーなーと。すかさず思うのは、学校だって、つまんねー講義ってのはまったくこういう事態だっつうことで、いくらなんか華麗に問題を次々といてみせられても、根無し草のような論理や自意識の塊が、面白いはずがない。いろいろいろいろ、考えさせられたのでした。半分寝ながら。

この週末はまったく仕事をしなかったのがよかった!

( y )

2009年6月25日(木)

一人家で仕事していると、聞いたことがあるのに何だかわからない鳥たちが 楽しげに鳴いている声が気になって仕方がないので、鳥声検索してみました。 たぶん10種類位はいるような気がするので、そのうちの1種類くらいわかればいいやと思ってはじめたのです。 心の中では、案外時間がかかるかもってわかってたのに、ちょっとのつもりが、やっぱり3時間。。仕事が手につけられません。

悔しい気持ちでベランダに出てみると、なんとも可愛らしい鳥さん夫婦が庭木にとまっていました。 おぉ〜と思って、調べてみると、終にたどりつきました!「ヒヨドリ」。どこらじゅうにいてうるさく鳴く鳥なので、 たいがいの人が聞いたことがあるんだろう鳥に、3時間もかかったけど、ヒヨドリの声がわかるオトナになれましたので、大満足です。

ちなみに、以前はこうして、「カネタタキ」って虫を調べました。その時も2時間は調べたかなぁ。
声で調べるって面倒だけど楽しいよね。

( t )

2009年6月24日(水)

一年に四回くらい、「これから飲んだくれよう」とおもうときがあり、そのうち一回がきょう。 そのきっかけは、たいていは、昔のえらい文士のようなひとたちがなんか毎晩飲んだくれているような文章に接して意を決する。 影響。今日は何だったか、これも、上司が新婚で若いころ収入の大半を飲み代に使っていたようなことを聞き、 そいつはごきげんな暮らしだとおもって即決意した。決意はするけども、いつも長続きしない。 今の時点で、今日も飲まなかったし、明日も飲まなそうだ、けど、これからなんとかして飲んだくれるようにしたいと思う。

( y )

2009年6月20日(土)

「ギャラリーを多く巡っていた時期は1日10軒行く日もありましたよ」とサラーっとおっしゃるカフェギャラリーのA山さんは さすがに鋭い眼力をお持ちで、トボデザインのモノをご覧いただいた時の感想というか、制作の意図を見抜かれた時は 嬉しい反面ドギーマギーですよ。占い師さんに自分を言い当てられてた気分。 見てる人は、見てるなぁー・・・。そんなA山さんの表札の文字をデザインすることになっちゃいました。いやぁ〜ありがたい!けど、 こえーです。
そういえば、最近ズバッ、グサッな意見を身内から言われました。。「トボって名前はかわいくないから違うの考えたほうがいい」だって。  ・・・・・。たしかに。。。いま気がつきました。

( t )

2009年6月18日(木)

また知らぬ間に世間は梅雨とよばれて雨がよく降る。 世界には水が多いですな。深夜の大雨のなかを自転車をひいて帰り道、バス停の屋根で雨宿りしながら水銀灯の下にほつれた巣をゆっくりと右回りに修復する蜘蛛をながめているとそこに羽虫がかかって水滴がぱっとちるのは至福でござる。または、ドンという雷鳴で始まる休日昼間の雷雨のはくしょくノイズをがらす越しに座布団に座って鑑賞しているとにわかに音量があがってばらばらと、べらんだにとびこんできた小さなあられのひとつひとつにすてきな縞模様をみつけるのもいいもんだ。ノー雨、ノーライフ。

( y )

2009年6月17日(水)

知人の家に3番目の赤ちゃんが産まれました。

わたしも3番目の赤ちゃんでした。
同じ3番目ってだけでなぜだか親近感が湧きます。

寝ている真横で上の子がぎゃーぎゃー!騒いでも、おもちゃを顔の上にズボッと落とされても、ぜーんぜん平気な顔をしていられるのは 産まれる前から家族の声を聞いていたからなのかなあ。
きっと、お兄ちゃんお姉ちゃんにたくさんからかわれて、いやいや可愛がられて育つんだろうね。 今だにわたしはからかわれるのが苦手だよ。でも、それも案外いいもんだよ。

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3番目の赤ちゃん

2009年6月15日(月)

時々、へんてこな失敗をしてしまいます。

今日は、ガムテープの切れ端を、無意識にくわえて、無意識にビリッとはがしたら、くちびるから血がじわじわでてきて痛かった。 ちょっと両手を使いたくて、持っていた紙やらカードをくわえてしまうことってあるじゃないですか。 それを荷造り中にガムテープでやったもんだから、失敗した。ガムテープなんだから、どこかにペタッとくっつけておけばいいものを、 なんでまたそんなことしちゃったんですかね・・・。

何年か前には、綿棒を耳に突き刺して流血したことがあった。あの時も大変困った。
耳かきをしていたら床に落ちている買物袋が目に飛び込んだので、なんとなーく拾おうとした私。 なぜか綿棒を耳につっこんだまま右手を床に向けた瞬間、「いたーーーぃっっっ(泣)!!」。 綿棒が右肩に押されて耳に突き刺さったのです。 危うく鼓膜がやぶれるところだったのだけど、あまりにマヌケで自分でもビックリでした。

他にも沢山あるのですが、あまりにバカらしいので今日はこの辺で。当時yさんが面白がって落書きしたのを出しておきます。 (画像をクリックすると大きく開きます。本当に暇な人だけ見てください。)

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tomosuke 絵本

2009年6月13日(土)

いじける洋さんに留守番をまかせ、atelier365°須知さん&あやさんとBookWorms 9 オープニングパーティーへ。 作家さんたちも、かくれんぼ好きなちっちゃなゲストも、展示された作品と弾む会話とボリューム満点料理をにぎにぎ楽しんでましたよ。 個性豊かな人が集まってるのだけど、親近感のある空気がとてもよかったです。 つくばチャンネルで放送されていそうな、そんな感じです。
それにしても、イベントを毎年1回ずつ9年間も続けるって、つくづく立派だなぁ。。と思います。 コドモの頃は、「継続は力なり」なんて言われても、「ふーん」程度にしか聞いていなかったけど、今はやっぱりそれだよ! 着物はまだ半幅帯しか結べませんが・・・。フランス語もBonjour止まりですが・・・・・。

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2009年6月11日(木)

このところもっぱら不健康で非文化的な最低限度の生活を営んでいますので、きゅうじつの午後にすこしでも笠間に顔をだせたのがとてもたのしかったのです。道の市なる庶民的な露天市にでむいたのだが、下に相方も記述するように、そこで彫刻家の尾崎さんの「涅槃くん」をかったのがよかった。

彫刻はかずある分野の中でも特にすといっくな感じがしてすきなのですが、なかなかふつうには、「彫刻」を見る機会はないものです。あわただしい日々でも今いわゆるクラフトとよばれて流行のものたちはよくめにしているとおもうのですが、彫刻はない。

昨今ナヤミや想いなんていうじめじめしたナイイヴなことがらは、ダサいしクラいわ。そんなのよりカラりとした、きれいなもの、センスのよいおされデザインが、ずっと健全なわけです。

それはわかるんだけど、なんかしらんが、自分は前者をこのむです。心みたいな、不完全で、謙虚で、あほみたいな、経済的でない、ことがらをよいとするわけです。まあ、天邪鬼。

だから、などとかくと彫刻家さんにはおこられるかもしれないけど、自分は彫刻が好きなわけです。そして、ちかばの、名前がしれてるでもないちいさなクラフトフェアのテントのなかに、久々に「彫刻」をみれたわけです。それでよろこんだ。

彫刻を学んでいた昔の友人たちは、品のよい売れるようなものなんてできねー、という考えなのでした。ほんとはできるし、やりたいんだ、そしてきっとそのほうが健全なのです。でもやらない。それがよいとか悪いとか、知りませんが、それはひとつの、自分にとっても重要な、態度でもあるのでした。そしてそれがいまの仕事にも通じている。

健全なことについては、とてもよく理解できるのです。
でもさ、かがくもげーじゅつも、そういうプリミチブなラヴアンドピース的なところからわざわざ差別化したみょうな秩序をつくってきてるわけだ。こどもっぽいかもしれんが、その価値観だってやはり敬わなくてはいけない。

しかし、ほんとうは、そんなわけのわからぬ秩序など個人のシアワセにとっては。。。


あれこれな想いがあります。


エッグスタンドでもあり、自画像でもあるという美しい「涅槃くん」にも、あれこれな想いが、「彫刻」が、覗いているようなきがする。


ちと心に力をいれることができたのでした。

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2009年6月9日(火)

笠間 道の市で彫刻家 尾崎悟さんの「涅槃くん」(エッグスタンド)を購入。
ブログでみた時から、なんだこりゃ!と衝撃を受け、実物をみてまたぷぷっと笑い、 尾崎さんから熱い想いを聞いたら、もう連れて帰らずにはいられなかった。 涅槃くんにやどるまっすぐな心が、いいなって思うから好き。

ちなみに頭は尾崎さんの愛鶏が産んだ卵だったんだけど、卵の中身を今朝ありがたぁーく食べちゃったので、カラ。 カラっぽでゴロリ。そりゃまたいいね。無で、悟りで、涅槃です!

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尾崎悟 涅槃くん

2009年6月6日(土)

群馬に住む友達から、先日無農薬の小梅が届きました。包みをあけた瞬間、「まぁ!」と思わず声を出してしまうほど、 かわいい小梅。
せっかく傷む前にと急いでおくってくれたのに、そんなに早く傷むものとは知らずちょっと駄目にしちゃったけど、 きっと美味しい梅酢が数ヶ月後にできるはず。むふ

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梅

2009年6月1日(月)

週末。海を越えて、無事ハレの日を迎え、驚くことがありつつも、和やかで楽しく 慶び溢れる時間を過ごすことができました。自分たちと家族、土地があって、そこに住む人がいて、それらがつながりあった上で、 一日が滞りなくすすんでいくということは、なんて素晴らしいことでしょう。

写真:大谷健二

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大谷健二 カモメ