2009年12月31日(水)

お正月の花をいけて、新年の準備です。 掃除をしながら、京都の呉服問屋の丁稚奉公にでもなったようなきぶんで、日々こういうのも楽しいかもと思いましたが、それだって、まあいろいろたいへんなわけですよね。なにごとにも皆それぞれにご苦労があるわけです。 今日は夕日が綺麗に燃えるようにおちて、満月がのぼっています。なかなかよいかんじです。天体はちゃんと運行している。 良いお年をむかえられそうです。

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水仙 立花

2009年12月27日(日)

我が屋のトイレには、
「人間、練習すれば間違える。計画すると失敗する。覚えてると忘れる。生きてると死んじゃう。」
という細野晴臣氏の名言が貼って有ります。

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2009年12月23日(水)

彫刻家、尾崎悟さんの個展-あふれる-にうかがいました。

昨日の専門分野の研究会、さして本質的でもない"15 minutes of fame"な毒気にあたって、ずいぶんへこんでいたのです。研究でも(まあ何でも)、小手先のデザインは、誰がどうしたといくらみてもきいてもきぶんは少しも晴れず、そしてそういう自分もまだそのような仕事しか出来ていないのです。ここはすこし仕事をアタマから離して、カミにでもすがる思いです。

成田の小さなギャラリー「海」の壁に、新作『声がする』が、かかっています。溶かしたアルミを木型に流しこんだそうです。どろどろの激しい流れが木を燃やし凝固した過程の痕跡です。そのしたには、波紋の片鱗のかたちが置かれます。中心にあった炎の、おもかげです。全体として、静かです。

仮のようなものでしかない中心をことさらにでっちあげることに比べて、この不在感は、なんと気持ちよいのでしょう。中心はむしろ、痕跡や片鱗から逆行し到達するほうがはるかに強い存在としてたち現れるようです。尾崎さんの(あふれる?)想いの、このようなさりげないというか、潔いというか、表現に、浸りました。すごい。

ちょうどトボのtのほうは、昨日多田富雄さんの新作能「花供養」にでかけたのです。いまちょっと時の人白洲正子の、かなたからの、面影を映す能です。こちらとあちらのイメージが、重なります。こういう素敵なものと出あえて、今現在とはるかに目指すべきことについて、心構えが、すこしまともに出来たような気がします。

花だって物理だって、こういうものでなければ面白くもなんともありません。

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尾崎悟 声がする

2009年12月5日(土)

取手にある一級建築士事務所「デザインルーム遊」さんのWEBサイトを作らせていただきました。 新しい建物を建てるということは、街の一部を作るということであり、人の暮らす空間を生み出すということだから、 二次元の仕事が多い私からしてみると本当に偉大だなあと思います。
そういえば、コドモの頃に描いた理想は、1.桜の木があること 2.栗の木があること くらいだったな。 どちらも、庭に植えたくないと思われがちな木々だけど。あれ、家の理想っていうより、庭の理想だわ。 今考えるなら、どんな家だろう?よほど勉強して、建築家さんとお話しないと、前に進めなさそう。。

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デザインルーム遊

2009年12月1日(火)

今日はなぜか普段やらないコトを無性にやりたくなって、3年くらい眠らせていたパン焼き機を動かしてみたり、 ショウガを買い込んでジンジャーシロップを作ってみたりした。 パン焼き機の実力は知っていたけど、改めて使えると思った。 頭や手(機械含め・・・)を動かしておくとぐるぐる歯車は回りだします。

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ウィンターコスモス