2010年6月13日(日)

久々の花いけの会をやりました。

さいきん、周りの人で、生け花とは何か、と、興味を持つ人がいておもしろい。
まったく、生け花とは、かなりの謎です。そして、興味を持った人が、その先になかなか行けない。いけばなの謎は解説される場がほとんどないし、本も圧倒的にない。謎はボリュウムを増す一方です。他方で、花嫁修業がなくなったいまではどこの流派も、お金集め、人寄せのためによく意味のわからない花をやっていまして、それが逆に心ある人の出鼻をくじいていると考えるともったいない。

今、花の謎を真っ向から真面目に伝えることは相当いみのある仕事で、花いけの会では草の根レベルでとてもいいことができてきいる感はあります。

さらにはるかに目指すところは、「"縁のこと"の科学」、でしょうか。
これがどんなことかは自分たちもよくつかめてないのですけど。

花いけの会

( y )

2010年6月12日(土)

街灯の少ないこの辺りの夜は暗くて怖い。
今夜は雨がしとしと降る中、傘から地面を覗きながら歩いていたら、足元にぬわっっっと出た!!!
2秒は心臓が止まったな。。 歩道に現われたのは、全長15cmほどはあるヌメっとした生き物。なぜに・・・。 沼地で見かけるなら「あ、ウシガエルだ〜」で済むけど、いちおう住宅地だから驚いてしまう。 暗くて、雨で、茶色いでっかい蛙に出くわすとは。だいぶ気持ちの悪いトトロに出くわした気分でした。

そういえば先日、夜になると虫の声とともにグエーグエーと奇声をよく耳にするので、あれは蛙かと相方様に聞いたら 「虫だ」と即答された。近所に水辺がないからといって、ウシガエルを勝手に虫にしてはいけない。

自分に見えたり聞こえたりするモノなんて、随分少ないんだろう。 思い込みはよくない。耳をよく澄まして、目をおおきく見開かないと、本当のことに気付けないんだろうなあ。 鳥声検索や虫声検索とともに、蛙声検索でもはじめるか。

( t )

2010年6月2日(水)

バカとナントカは高いところがすきというように、たかいところが自分かなり好きだが、陸の孤島の底辺で超インドア生活が数ヶ月も続いている現時点では、のぼらずとも高いものを想像するだけである程度楽しむ。菊池桃子かなんかにあこがれる中学生のようだ。とりあえず図書館の最上階くらいにはのぼるが、細かい作業に疲れると、窓越しに陸の孤島山をながめて、たとえばその山の向こうに、それよりでかい阿弥陀様が顔をだしているイメージをするとなかなか楽しい逃避ができる。けっこうな昔にこんな「山越えアミダ」のイメージをかいた人は、かなりの逃避のプロフェッショナルではないか、写経のし過ぎとかでまいっていたのでしょう。とにかくでかい空間を観想するのはすばらしい逃避で、逃避王子オザケンさんだって、夜をいうときには「地上の夜、この星の現在位置」と太陽系にまで視点を広げるのです。まあ実際、本来、そのでかい視点の方が物理的な現実であって、小さな人間的シガラミせかいのほうがよほど仮なわけだ。ということで今日はさらに、せいぜい800mくらいしかない陸の孤島山の向こうのアミダ(推定1500m)よりもはるかにでかいであろう6000m級、キリマンジャロ山がそこにあったらと考えてみる。いやそれってどんなにでかいのだろう。あーみてみたい。ぼけえっと虚空を見つめ、その手元のノートの計算仕事はなかなか進まない、夕方の図書館の最上階からおりて外へ出るともう夏のにおいがしている。

( y )